礼讃主義とはジャンクフードである。

「俺ってさー、友達にトップモデルがいるんだけどさー。すごくない?俺すごくない?」

「...そうだね...」


1度くらいなら自慢話も流せるけれど、何回も言われると辟易します。しかも自分の活躍や努力ではなく、人様の成果を引き合いに出してとなると、何だかなーと思ってしまうわけです。これは私の身の回りの話しではなく、昨今の日本礼讃番組を見ていて感じた事です。


日本ってすごいなと言う番組がたくさんあるのなら、毎回日本の様々な社会問題を取り上げて、意見を募ったり解決するための社会実験をする番組を作って欲しいです。

たしかに日本の技術とかすごいなと思うけれど、それを努力して実現した人に簡単に乗っかって、私達までも誉められたような気になって浮かれるのは何だか違うような気がします。何だか辛い日々をただ紛らわすだけの現実逃避に思えるからです。

誰かの賞賛に乗っかったり、周囲を貶める事で自分が偉くなった気になって鬱憤を晴らしたり、そういう簡易的に得たものでは段々と満足せずエスカレートします。それはジャンクフードと同じです。


自分の周りには、障害や貧困、虐待や自殺、差別などしっかりと取り組まなくてはいけないものが溢れかえっています。そこまでいかなくても自転車の放置や危ない乗り方、歩きタバコなど、生活の中でも気になる事がたくさんあります。しかしその場で注意した側が殴られたり殺されたりする話もあるので、関わらない方が得策となっています。

エスカレーターの片側空けなども、そちらに立っている人がいたら怒鳴られるようです。みんな急ぎ足で危険よりもまず自分が先に行く事ばかりです。自分だけ得をしようと言うまではいかなくても、自分だけは損をしたくない、そうして余裕がなくなっている人が増えている気がします。


エスカレーターなども人が多いイベントでは係の人がずっとついていて「二列で乗ってください」とアナウンスをしています。片側空けをしないでと鉄道会社がポスターを貼って呼びかけているようですが、乗り遅れないようにばかりに気持ちがいっている人がポスターを見るでしょうか、そしてそれを守ろうとするでしょうか。

浸透するまでは係の人を定期的につけるとか、エスカレーター転落の恐ろしさ、事故件数、ぶつかってケガをさせて逮捕された場合の責任など、毎回ひとつの事を取り上げてそれに関連する事を掘り下げ、誰もが安全に暮らせる社会を少しずつでも作っていく番組をやって欲しいのです。


誰かが傷ついたり亡くなったりしてから法律ができる事が多いのですが、大切な命が失われる前に自分の周りにある危険なものを見つけ、細かく陳情してみるなどの行動も大切です。そうした事で自分がケガをするのも嫌ですし、自分の家族や友達、大切な人が傷つくのも嫌です。一人ひとりが自分の身にそれがふりかかったらと想像して見る事が必要なのではないでしょうか。


誉められている人と関連付けて自分の評価を高めようとするのを「栄光浴」と言います。とても手軽ですね、人の努力と積み重ねに簡単に乗っかれば良いのですから。

礼讃の流れに身を任せ、自力で泳いでいるような気になり興奮する、そこに自分達が正しいという排他というものが加わる。それは精神的に余裕がなくなってきている、本当は漠然とした何か不安要素がいつもちらついている証拠なのではないでしょうか。

その不安なものとは本当は何かを考えないで、手軽に手に入る栄光浴というジャンクフードで一時的に空腹をしのぐ、その生活習慣ならぬ精神習慣を改善しないと心身に影響が出ます。しかもそれは生活習慣病みたいに自分ではなく、他人を傷つけてしまいます。

想像力や寛容さを無くしていないか、誰かを貶めている事はいつか自分も同じ事に遭う可能性があります。目の前の人や自分の周囲を大切にできないのに、国を愛する事は無理だと思います。


コンビニエンスなお手軽ジャンクフードは卒業していきましょう。まずは自分の周囲の問題に取り組む、困っている人を手伝う。感謝の気持ちをしっかり言う。そうして自信をつけて、他者を信頼する気持ちがあって良いというものを伝播させていかなくてはいけません。

まず自分に自信を持っていかないと他者に気持ちを傾ける余裕がありません。それでは自分の自信を回復するとは何か、自分が得意な事とか何か、そんな事から考えてみるのが良いと思います。


私も少しずつやってきたつもりですが、これを書いてまだやるべき事がたくさん見えてきました。自分がまず心を整えなくてはいけないので、それをしっかり考えていきます。

せつなさのしくみ

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